蓼科山 やっぱり地球は青かった
昼前には雨が上がって、あとは晴れるとの予報。
夏の間、仕事や、天気でまったく山に行けなかったので、行ける時に行っておきたいとゆーことで行ってきました。
蓼科山。
今回、クリコは、7月の谷川岳以来なので超久々。
なので、7合目まで車で行けて、そこから2時間くらいで山頂に立てるという蓼科山は、なまったクリコの身体にはピッタリの山だと思い選びました。
とは言っても、2500mを超える山だし、なんといっても日本百名山に選ばれている山。近所の裏山に登るのとはわけが違います。
朝、6時半に出発するつもりが、なんだかんだ準備に手間取って7時近くになってしまった。
テンキュー!ハスくん!
到着したのは、9時過ぎだったけど、平日だし、午前中、雨が降ってたこともあり駐車場はガラガラでした。
9時半、7合目登山口。一の鳥居からスタート。
両側、熊笹生い茂る登山道をゆったり上がっていきます。紅葉も色づき始めてます。
まだまだ余裕の表情。
八ヶ岳名物、苔生す森。
ガレた急登が始まった。
前日の雨の影響なのか、登山道を水が流れていきます。
将軍平、蓼科山荘到着。
ここで小屋番さんとしばらく立ち話。
登山客が、階段の両脇をストックをついて歩くせいで、だんだんと登山道が広がってしまっていると嘆いておられました。それは俺もやってることなので気をつけようと思います。
やっぱり山が、人為的な行為で形が変わっていくのは悲しいことですから。
ここからでっかい岩がゴロゴロしてるところをワシワシ登って行きます。
そして、ここから展望が開けてきます。
山頂までもう少し。
着きました!山頂です!
だだっ広い山頂が、でっかい岩でゴロゴロ埋め尽くされてる。
一面この風景。これが自然にこうなったなんて不思議。
この風景ができあがる様をみてみたい。
最初のうちこそガスってたんだけど、やがてきれいに晴れました。
これぞ360°の大展望。我々、これまで高山に登っても今ひとつ天気にめぐまれなかったんだけど、今日はやってくれたよ!風と太陽が!
なんか涙がでそうなくらいの風景でした。
初めて槍ヶ岳を肉眼で見た衝撃。たとえるなら初めて宇宙から地球を見てるようでした。
真正面に北横岳。風よけと、ご飯を食べるのにちょうどいい平べったい岩。
ここを今日の大休憩ポイントにしました。
昼ごはん。いつも通りおにぎり。
南アルプス。光ってます!
左端に浅間山。
えーん!雲海がかっこいいよー!
元気玉。
下山途中に蓼科山荘で気になってたTシャツを購入。山荘のオーナーさんがデザインしたらしいです。
カモシカのイラストがいかす。
ライブや、イベントに参加して、気にいったデザインのバンドTシャツを買う。それと同じ。
これからは、気にいったデザインの山Tシャツ買っていこう。
最後、下山途中、膝をいわせてしまう。
実は、前々回の谷川岳の下山時に右膝をいわせてしまっていて、まだ治っていない。
それをかばいながら歩いてたせいか、左膝も痛み出し、たびたび止まる。
ちゃんと治療しないと治んないのかな。
下山。
帰りの高速道路でみた富士山。この世のものと思えない美しさ。
春先から、あまりいい景色が見られなかったけど、秋が深まり、さらに冬に向けてのこれからが楽しみです。
春夏秋冬、どの季節もそれぞれのいいとこがあるけど、景色をきれいに遠くまで見渡すということに限れば絶対に冬。
そしてハスラーを買った大きな理由は、冬もどんどん行動できるようにというのが一番。
多少の雪なら根性で乗り切れるんじゃないか。ハスラーならば。
平標山 仙ノ倉山 噂の稜線歩き
前回、7月に谷川岳に行ってから、2ヶ月もあいてしまった。
まあ仕事をしないとご飯は食べられないし、結局は山にも行けないことになるのでしょうがないっすね。
今年の夏は、アルプスに行きたかったんだけど、それも来年までお預けです。
来年は、絶対に行く!
それまでは、行ける山に行って経験値を上げる!
さて、2ヶ月ぶりの登山。
谷川連峰の西端に位置する、この山の稜線の美しさを噂で聞き、いつか行ってみたいなと思ってました。
シーズン中だと、数々の高山植物が咲き乱れる花の山としても有名らしいです。
で、今回の山のお供は、ボンゴブラサーズの盟友しろしくん。
なんかやたら山に行きまくってる俺を見てて、山への興味を募らせたみたい。
で、登山靴も購入したということで、今回しろしくんにとって、初の本格的な山に行こうということにあいなりました。
で、根性の岩登りか、見晴らしのいい稜線歩きか、どっちがいいかたずねたところ、稜線歩きがいいとの答え。
ならば、平標山からの仙ノ倉山ぴったしじゃないか!と思いここに決めました。
朝、4時半に出発。
お便所をすませ、準備を整え歩き始めます。
出発前に知らないおじさんとコース確認する俺。
松手山コースから行きます。
前半、樹林帯を延々階段登り。
んで、最初のポイント、鉄塔。
この辺から展望は開け始めるけど、すでに怪しい雲行き。
次のポイント、松手山。写真で見るとなんか雲海ちっくに見えますが、実際は、ガスが山全体を隠す一歩手前状態。
やがてこうなり。
こうなる。
平標山山頂。
雨も降ってきた。そしてなにも見えず。
合羽を着こんで、とりあえずここで昼ごはん。
仙ノ倉山までの稜線を歩くことを楽しみにやってきたけど、この状態では、真っ白でなにも見えないことは明白。
でも、新潟くんだりまで来て、このまま帰るのもなあと思い、とりあえず仙ノ倉山まで歩くことにした。
天国につづく道のよう。
案の定まわりは真っ白でなにも見えない。でも見えてる範囲だけでもとてもきれいな山だったな。
予定があり、6時半までに帰らなきゃいけないというのもあって、どうしようか迷ったけど、ここまで来たらと思ってどんどん行った。
木道は、濡れてすべりやすく要注意。
仙ノ倉山手前の小ピークで吹いてた風はやばかった。
仙ノ倉山山頂。
と、ここまで、ピークを踏んでも、うーん…たいらっぴょう?
うーん…せんのくら?
みたいな煮え切らない感じが漂っていた。
こんなに遠くまで連れてきて、しろしくん初めての山登りがこれではなーという思いもあったけど、これもまた山の一面。山のご機嫌は、こちらではうかがい知れないし、全部納得するしかない。
さて帰るかつって、平標山までピストン。
で、ここからは、松手山コースじゃなくて、平標山の家のある、平元新道の方から帰ることにした。
しばらく歩くと、ん?なんか晴れてきたぞ。
お、おー!!
おー!!
仙ノ倉山もくっきり。
ごきげんだぜ!
この平標山の家までの30分間、最高に美しい道を歩いた。
平標山の家に到着。
お便所を借りて、10分ほど休んで出発。
ここからは樹林帯の階段を下りていく。地味に膝にくる。
林道を1時間くらい歩く。前を行くカップルがかわいいな。
途中にあったきれいな川。
駐車場のおじさんに、温泉よってきなよって魅力的な提案されたけど、時間が無いので飛ばして帰る。
ハスラーは、いい走りをしてくれたよ。何の不安もストレスも無い。いい車。
で、無事しろしくんを送り届けて帰宅。と思いきや、なんとしろしくん携帯を車に忘れてったよ。
ガス、雨、風、晴れ、展望。
今日一日で、山のいろんな面が見れたよ。ほとんどがガス、雨、風だったけど楽しかった。
また季節を変えて、花咲き乱れる時に来たいな。
それにしても谷川連峰、なかなか全貌を見せてくれないなー。また来るぞ!
新車でドライブ!
9/19。
今日は、もともと金峰山への登山を予定してたんだけど、前日バタバタ忙しくて、準備をするのもすでに夜遅くなってしまい、久しぶりの山、すごい行きたかったんだけど、もう疲れちゃって無理!と判断しました。
なので、普通に新車でドライブに変更しました。
シルバーウィーク初日なので、高速はつかえないと読んで、道志みちを行くことにした。
特に目的地は決めてなくて、道志みちを走りながら所々で寄り道して、山中湖を回って高速で帰ろうという計画です。
8時過ぎに出発。
荷物を積み込んで出発です。
サンバーは、何も考えずバンバン荷物を放り込んでいたけど、ハスラーは、荷室が狭いので、ちゃんと整理しながら考えて積み込みます。
連続するカーブの登り道にも、まったくストレス無く走れました。音も静か。
そしてなんとアイドリングストップします!ブレーキを踏んで止まると自然にエンジンが止まります。そしてブレーキから足を離すとまた自然にエンジンがかかります。それによってガソリンを節約。さらには環境にもやさしいという画期的な機能。
そんな素敵なアイドリングストップを繰り返し、峠道もそつなく走り、いい感じの河原を見つけて、そこで一休み。
一休みして、道志の道の駅へ。
グルーっと散策して、また山中湖方面に向かって走り出したところで、さっき寄った河原にコーヒーボトルを忘れてきたことに気づいて、急いで戻ります。
で、ついでにこの河原で昼ごはんを食べることに。
コッヘル忘れて、水で溶いただけの味噌汁。それなりにうまかった。
で、再度山中湖に向けて出発。
で、山中湖に到着。残念ながら富士山は見えず。
ひま。
なんとなく湖をながめて、ひまをもてあます感じ。
平和です。平和とは、ひまってことです。
眠たくなってきたので、昼寝して帰ります。
で、ハスラー、高速でどのくらいいけるのか?ってことで帰りは、中央道で。
高速では、つかえない的な意見をけっこう耳にしてたので、ここは気になるとこでした。
で、走ってみたら、ぜんぜんいけます。
だいたい、100km巡行で2500回転くらい。
サンバーでは、80kmでも、4800回転くらい回してたので、えらい余裕です。
高速でも音は静か。
スムーズ&メロウな走りです。
サンバーのときは、高速では、音楽をかけても、ほとんど聴こえなくて、音量を上げて会話ができないということがあったけど、ハスラーはほんと静か。
音楽は、小さな音量でも十分聴こえるし、会話も余裕。
まあ比べる対象がサンバーなので、おもいっきり点数が甘くなってしまうのは、しょうがないところだけど、ほんといい車だと思います。
しかし、いわゆるいい車というものに今まで乗ったことがないので、大きなことは言えませんが、僕は大好きになりました。ハスラー。
バイバイ & ハロー
9/18。
今日は、待ちに待った新車の納車日。
そして、かわいいサンバーとの別れの日。
朝起きると、高尾山の周りだけピカーッと晴れてる。
サンバー最後の日。
近所でいいから最後にどこに行ったって覚えてたいので、絶対にどっか行こうと決めていた。
なので、最後のドライブは、光り輝く高尾山に決めた。
8時頃、高尾山口駅前の駐車場に行くとすでに満車だった。
なので、奥の神社の駐車場に停める。
さっそく記念撮影。
リフトで薬王院くらいまで行って、戻って来ようかと思ったんだけど、残念ながら雨が降り出してきた。
駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで帰ることにした。
そして、買取屋さんまでの最後のドライブ。
もうここに座ることは無い。
そして、手続きを終えて別れの時。
ドナドナの歌詞が頭をよぎった。
バイバイサンバー元気でな!
そして新車。
この一ヶ月の間、ほとんど新車のことばっかり考えて生活してきた。
待ちに待ったよー!
スズキハスラー!
これからよろしくね!
さらばサンバー!
迫りくる車検に合わせて新車を購入することになり、我が愛車スバルサンバーにお別れすることが決まった。
出会いあれば別れあり。出会いと別れは人生のロマンだ。出会いと別れが人生を加速させていく。
結婚してすぐくらいいに、あきる野の中古屋で購入したサンバー。見に行って、最初に試乗したサンバーにあっさり決めた。なんとなく、こいつだ!という直感が働いた。
というか正確には、お金を出したのはクリコだった。
車の無い時代、仕事にはチャリンコで通っていた。毎日毎日、朝は颯爽と、帰りはヘロヘロになって通った。
車を買った当初も、当然チャリンコで通勤するつもりだったけど、一度車で通ってしまったら、もうダメだった。
二度とチャリンコ通勤には戻れなかった。
あー、なんて楽なんだろう!好きな音楽を聴きながら、座ったまま移動できるなんて!革命だ!通勤革命だ!
と思った。
以来、雨の日も、風の日も、雪の日も、朝も夜もサンバーで通った。
遊びにいろんなとこに行ったし、いろんな人を乗せた。
高速で、おせーなー!めんどくせーなー!と悪態をつきながら運転したこともある。
それにしても、ほんとによく走った。
かわいいサンバー。
今日、サンバーを買取屋さんに売ることが決まった。
車は道具だけど、愛着はある。
次にどんな人が乗るのか、部品だけ取られてバラバラにされてしまうのか、ぜんぜんわからないけど、感謝はしてる。
今までありがとう。
山中湖でふざけてクリコを置き去りにして走ったとき。クリコなぜかうれしそう。
クリコの実家の愛犬ボクはサンバーが大好きだった。
俺とサンバー。大月にて。
一昨年の大雪のとき。雪に埋もれるサンバー。
雪かき。
クリコの実家の息子、おーちゃんとサンバー。
サンバーとボクとクリコママ。
外の世界を知らないショコラ。サンバーで通院途中にめっちゃ外を見る。
千葉にもよく行ったなー。帰り道湾岸線。
一緒に海も渡った。東京湾フェリーにて。
仕事帰りの夕焼け空。
林道でガチガチのアイスバーンも走った。
山もよく行った。
さて帰るかっつって。
農道とサンバーとボク。奇跡のような組み合わせ。
湘南をドライブ。カナダから遊びに来てくれたシンゴくんと。
燃費の悪い車だった。ガソリンばっかいれてたな。
富士山とサンバーもよく似合うな。
桜吹雪とサンバー。
春のドライブはほんとに気持ちいい。
秘湯めぐり。
山梨はほんとよく行った。
南アルプス市のお花畑。
青木はよく乗っけたな。仕事の行き帰りとか。
田舎が最高に似合う車。
音楽のめざめ
自分がどういう風に音楽と接してきたか?いつどういうタイミングでなにを好きになったのか?を、振りかえってみます。
まず第一回、めざめ。
でも、その前にカセットテープで西部劇のテーマ音楽集のやつを買っている。小5か、小4の時。
もともと映画が大好きだった。
で、その映画で流れてる音楽が好きになった。
やっぱり子供だから、パニック映画とか、アクション物とか、派手なかんじのが好みだったな。
映画とかに目覚めてからの最初のヒーローは、スティーブマックイーンと、ブルースリー。
小6から中2までは、武蔵境に住んでいたから、1000円三本立ての三鷹オスカーによく行ったな。1000円だったかな?400円とか600円だった気もするな。
一緒にレコードをよく買っていた友達の家に、いいステレオセットがあって、大地震っていう映画のシングル盤を買ったときに、じゃあ、そいつんちで聴こうぜってことになった。
最初に効果音で地震の地鳴りみたいな音から始まるんだけど、そこで、低音のつまみを最大にしてみようってことになってやってみた。
そしたらブルブルって部屋が揺れた。つーか家が揺れてたのかもしんない。なにやってんだー!って家の人が飛んできたよ。
そういう映画のサウンドトラックが気になって買っていた。
あと映画のチラシ集めとか。
スクリーンとか、ロードショーとかの雑誌ももちろんチェックしていたよ。
ちなみに性の目覚めを自覚したのは、フランス映画、エマニエル夫人(1)です。たぶん小6のとき。これターニングポイントです。今まで女の子と遊ぶことなんかなかったんだけど、今思えば小6から女の子と一緒に遊ぶようになった。
このレコードは持って無い。
そして、はじめて自分の意思で音楽を奏でたのは、このエマニエル夫人のテーマソングをピアノで弾いたときだと思う。
つってもピアノなんか弾いたこと無いので、一本指でメロディーをなぞるだけだけど。
関係ないけど、小6のとき、クラスメートが盲腸で入院したんだけど、やたらそいつのことをみんなで大事にしたな。
しょっちゅうお見舞いに行って、プレゼント持ってったりしてた。
たぶん、そいつの人生でも、この時が一番人からやさしくされたんじゃないかな。関係ないけど。
で、小学6年のときに、俺たちのまわりで、ビートルズの一大ブームがやってきた。
俺たちは、ビートルズに夢中になった。
今から思えば、ビートルズが解散してから、当時、まだほんの5年くらいしかたってなかったんだけど、俺たちにとっては、もっともっと大昔、俺らが生まれる前に解散した伝説のバンドという感覚だった。
ヘルプや、イエローサブマリンや、レットイットビーなんかのシングル盤をちょっとづつ買って何回も何回も聴いていた。
初めて買ったビートルズのアルバムは、ヘルプだった。
母ちゃんの財布からくすねた金を握りしめて、武蔵境の商店街のはずれにある小さな個人経営のレコード屋で、どれにしようか迷いに迷ってヘルプに決めた。
新品のレコードが家にあるとバレると思って、買ったばかりのヘルプのジャケットを道路にグリグリこすりつけて、古びた感じにして家に持って帰ったのを憶えてる。
映画音楽は、まだ映画がありきの音楽だったけど、ビートルズは、はじめてかっこいいと思って音楽を聴いた初体験だったな。
ちなみに、学校の授業の音楽は、大嫌いだったな。縦笛ピーピー吹いたり、コーラスの練習とかやってられないと思ってた。
あと好きだったのは、ナットキングコール。小学生ながらコールの野太い声と、ロマンチックな曲の雰囲気が大好きだった。
俺、子供の頃から歌が上手で、団地の階段とかで歌ってると、近所のおばさんに上手だねーってほめられて、うれしいそぶりは見せずにうれしがってた。
あと、家でよく音痴な父の歌唱指導をしてたな。
でも、父は、自分では、音痴だという自覚は全く無くて、むしろうまいとさえ思ってるふしがあってイライラしてた。
今も音痴は治ってないんだけど、相変わらず、いい声で、いい具合に歌ってるつもりみたい。そして、俺も大人になったので、イライラせず、父の歌を楽しめるようになりました。
小学6年生、音楽以上に好きだったのは野球。
この頃の原辰徳にかける日本人すべての
期待感はすごかった。長嶋茂雄を継ぐものは、この若者しかいないと日本中で思ってた。
常勝巨人軍の10連覇を阻止した中日ドラゴンズが大好きになった。
なんといってもチーム名。燃えよドラゴンつながりで、ドラゴンズという名前が最高にかっこいいと思った。
あとスカートめくり。
これは、性の目覚めというより、学校ではやってたし、女の子がキャーキャー言うのがおもしろくてやってた。女の子の方も、やめろ!ばか!変態!とかいいながらけっこう楽しんでるふしもあった気がするな。
あと印象に残ってるのは、団地の空き地でやった父とのキャッチボール。
父も高校時代野球の選手だったからいい球が来てたな。投げたあとに長嶋茂雄みたいに右手をヒラヒラさせてたのを覚えてる。シューって空気を切る音を、バシってグラブで遮断するのは快感だった。当時の俺はノーコンで、俺の投げたボールは、あさっての方に飛んでった。その度に拾いに行かなきゃならないから、父は、よく怒って帰っちゃったよ。
子供時代に帰りたいとは思わないけど、懐かしいな。俺は子供だったし、父も母も若かった。
ウッディアレンに映画に撮ってもらいたいな。当時の俺を。
ラジオデイズみたいな感じで。
(1)エマニエル夫人…当時大ヒットしたフランスのエロ文芸映画。
スパリゾートハワイアンズ 失われた場所を求めて
3連休の最終日、職場の仲間と、たまたま休みのシフトが一緒になったから、じゃあ一緒に遊びに行くべということに。
でも、常磐ハワイアンセンターと言った方が、僕的には馴染み深いです。日本の温泉テーマパークの先駆けとなった歴史ある場所であり、いわき市にとっては、炭鉱産業無き後、観光に力を入れ、労働者の受け入れ先となった、無くてはならない地元の貴重な観光スポット。
この顛末は、映画フラガールでも描かれています。
そして最近では、大震災、原発事故で、またたくさんのものが失われて、それをとりかえそう!または、あたらしいものを作っていこう!と土地の人達が、がんばっています。そして、スパリゾートハワイアンズも復興のシンボルとしてかんばってるみたいですね。
さて、本日の遊び相手は、職場の仲間モリヤくんとヨッシー。それとクリコ。
朝5時に自宅前で待ち合わせ。
今日はモリヤくんが運転してくれるので、後部シートでゆっくりできます。
寝ないけど、寝ることだってできるのは気持ちに大きな余裕を生むね。
ヨッシーを拾って、国立府中インターから中央道にのる。
移動の車の中では、ずっとヨッシーをいじって遊ぶ。楽しいな。
思ったより高速はすんなり行ったけど、
たっぷり4時間かかったよ。
到着。
まずは、なにをすればいいのか勝手がわからずうろうろ。
とりあえず、水着に着替えてプールに行こうということに。
なにしろプール自体20年ぶりくらい。
水着も前日あわてて買いに走った。
恐る恐る水に入るが、いきなり水の冷たさにびびる。
水の冷たさなんてまったく忘れてた。
そして、平日だけど、それなりに人がいるので、まわりの人にぶつからないよう気をつけながら泳いでみる。
ぜんぜんだめだ。
泳げてない。
すぐ疲れるし、体が重い。
今日は水泳だめだと思い、風呂モードへ。
水着ではいれるジャグジーや、温水のプールに移動。
朝が早かったので、早々にお腹が減ってくる。しかしフードコートは、まだぜんぜん開かない。
広い場内を、無駄にあっちにいったりこっちにいったりして体力消耗。すっかりヘトヘトになってしまう。
一回ロッカーに戻って、服を着て、気持ちを落ち着けて、再集合。
やっと食事にありついてホッと一息。
ここまでは、あれ?ハワイアンズ失敗だったかな?つー気分につつまれてた。
でも、元気なフラガールのショーをみて、最後に江戸時代の湯屋と広大な露天風呂をミックスさせたお風呂に入って、まったく気分は回復。最高だった。
江戸情話 余市という江戸時代の湯屋を模したお風呂は、洗い場はあえて無く、掛け湯だけして体を流したら、世界一広いという広大な露天風呂にゆったりつかるというスタイル。シンプルで、情緒があってすごくよかった。
で、ハワイアンズはここまで。
あとは、街を散策しようということになり、いわきの街へ繰り出す。
まずは、夕ご飯。
良さげな飯屋さんを見つけて入ってみる。
俺は五目ラーメンをたのむ。すっげーうめー。
満腹になり、そのままブラタモリモードに。
駄菓子を買って。
駄菓子を食いながら、街をブラブラ歩く。
天才的猫使いのクリコがすっかり手なずける。
しかし、モリヤくんは、猫大好きなのに、やっぱり猫からは嫌がられ、とどめに猫パンチをもらう。
戦国時代好きモリヤくん、旧城跡をみつける。
じゃあ、そろそろ帰るかつって。
八王子に向かって走りだし、しばらくすると、湯本第二小学校の表示が。
小学3年から5年までの3年間通っていた僕の母校。
でも、小学校の文字をじかに見てしまったら、寄らずにいられなくなってしまった。
住んでた家のあたりに行ってみるが、さすがに40年前の記憶、なんとなく地形はうっすら覚えてるけど、建物とかは、ぜんぜん変わってる。
古そうな酒屋の旦那さんに、聞いてみると、やっぱり住んでた家は取り壊され、今は保育園が建っている。
友達が住んでた炭鉱の団地も取り壊され、今は、市営のアパートが建っているとのこと。
当時、よく通ってた無料の町営の温泉も今は無く、近所の猿を飼ってたパン屋も、もう無かった。
僕が、ここに住んでた痕跡はまったく認められなかったけど、なんだかすごくスッキリした。
僕の記憶の中でぼやけて、ほとんど無くなってしまっていた場所が、旦那さんの言葉でいきいきと目の前にあらわれたような気がした。
旦那さんも、あれこれ興奮気味に、親切に教えてくれた。
うれしかったです。ありがとうございました。
そして、スッキリした僕とその仲間たちは、一路八王子への帰路につきました。
なんと、今日だけで総移動距離 500km。帰ってきたのは、ちょうど24時。ヨッシー次の日4時起き!笑
つかれたけどいい1日だったな。
モリヤくん、運転おつかれちゃーん!