音楽のめざめ
自分がどういう風に音楽と接してきたか?いつどういうタイミングでなにを好きになったのか?を、振りかえってみます。
まず第一回、めざめ。
でも、その前にカセットテープで西部劇のテーマ音楽集のやつを買っている。小5か、小4の時。
もともと映画が大好きだった。
で、その映画で流れてる音楽が好きになった。
やっぱり子供だから、パニック映画とか、アクション物とか、派手なかんじのが好みだったな。
映画とかに目覚めてからの最初のヒーローは、スティーブマックイーンと、ブルースリー。
小6から中2までは、武蔵境に住んでいたから、1000円三本立ての三鷹オスカーによく行ったな。1000円だったかな?400円とか600円だった気もするな。
一緒にレコードをよく買っていた友達の家に、いいステレオセットがあって、大地震っていう映画のシングル盤を買ったときに、じゃあ、そいつんちで聴こうぜってことになった。
最初に効果音で地震の地鳴りみたいな音から始まるんだけど、そこで、低音のつまみを最大にしてみようってことになってやってみた。
そしたらブルブルって部屋が揺れた。つーか家が揺れてたのかもしんない。なにやってんだー!って家の人が飛んできたよ。
そういう映画のサウンドトラックが気になって買っていた。
あと映画のチラシ集めとか。
スクリーンとか、ロードショーとかの雑誌ももちろんチェックしていたよ。
ちなみに性の目覚めを自覚したのは、フランス映画、エマニエル夫人(1)です。たぶん小6のとき。これターニングポイントです。今まで女の子と遊ぶことなんかなかったんだけど、今思えば小6から女の子と一緒に遊ぶようになった。
このレコードは持って無い。
そして、はじめて自分の意思で音楽を奏でたのは、このエマニエル夫人のテーマソングをピアノで弾いたときだと思う。
つってもピアノなんか弾いたこと無いので、一本指でメロディーをなぞるだけだけど。
関係ないけど、小6のとき、クラスメートが盲腸で入院したんだけど、やたらそいつのことをみんなで大事にしたな。
しょっちゅうお見舞いに行って、プレゼント持ってったりしてた。
たぶん、そいつの人生でも、この時が一番人からやさしくされたんじゃないかな。関係ないけど。
で、小学6年のときに、俺たちのまわりで、ビートルズの一大ブームがやってきた。
俺たちは、ビートルズに夢中になった。
今から思えば、ビートルズが解散してから、当時、まだほんの5年くらいしかたってなかったんだけど、俺たちにとっては、もっともっと大昔、俺らが生まれる前に解散した伝説のバンドという感覚だった。
ヘルプや、イエローサブマリンや、レットイットビーなんかのシングル盤をちょっとづつ買って何回も何回も聴いていた。
初めて買ったビートルズのアルバムは、ヘルプだった。
母ちゃんの財布からくすねた金を握りしめて、武蔵境の商店街のはずれにある小さな個人経営のレコード屋で、どれにしようか迷いに迷ってヘルプに決めた。
新品のレコードが家にあるとバレると思って、買ったばかりのヘルプのジャケットを道路にグリグリこすりつけて、古びた感じにして家に持って帰ったのを憶えてる。
映画音楽は、まだ映画がありきの音楽だったけど、ビートルズは、はじめてかっこいいと思って音楽を聴いた初体験だったな。
ちなみに、学校の授業の音楽は、大嫌いだったな。縦笛ピーピー吹いたり、コーラスの練習とかやってられないと思ってた。
あと好きだったのは、ナットキングコール。小学生ながらコールの野太い声と、ロマンチックな曲の雰囲気が大好きだった。
俺、子供の頃から歌が上手で、団地の階段とかで歌ってると、近所のおばさんに上手だねーってほめられて、うれしいそぶりは見せずにうれしがってた。
あと、家でよく音痴な父の歌唱指導をしてたな。
でも、父は、自分では、音痴だという自覚は全く無くて、むしろうまいとさえ思ってるふしがあってイライラしてた。
今も音痴は治ってないんだけど、相変わらず、いい声で、いい具合に歌ってるつもりみたい。そして、俺も大人になったので、イライラせず、父の歌を楽しめるようになりました。
小学6年生、音楽以上に好きだったのは野球。
この頃の原辰徳にかける日本人すべての
期待感はすごかった。長嶋茂雄を継ぐものは、この若者しかいないと日本中で思ってた。
常勝巨人軍の10連覇を阻止した中日ドラゴンズが大好きになった。
なんといってもチーム名。燃えよドラゴンつながりで、ドラゴンズという名前が最高にかっこいいと思った。
あとスカートめくり。
これは、性の目覚めというより、学校ではやってたし、女の子がキャーキャー言うのがおもしろくてやってた。女の子の方も、やめろ!ばか!変態!とかいいながらけっこう楽しんでるふしもあった気がするな。
あと印象に残ってるのは、団地の空き地でやった父とのキャッチボール。
父も高校時代野球の選手だったからいい球が来てたな。投げたあとに長嶋茂雄みたいに右手をヒラヒラさせてたのを覚えてる。シューって空気を切る音を、バシってグラブで遮断するのは快感だった。当時の俺はノーコンで、俺の投げたボールは、あさっての方に飛んでった。その度に拾いに行かなきゃならないから、父は、よく怒って帰っちゃったよ。
子供時代に帰りたいとは思わないけど、懐かしいな。俺は子供だったし、父も母も若かった。
ウッディアレンに映画に撮ってもらいたいな。当時の俺を。
ラジオデイズみたいな感じで。
(1)エマニエル夫人…当時大ヒットしたフランスのエロ文芸映画。